コンテンツにスキップ

文公 (許)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文公 姜興父
8代
王朝
在位期間 幽王平王時代
姓・諱 姜興父[1]
諡号[1]
武公

文公(ぶんこう)は、武公の後を継いだ、西周諸侯国である許国の8代君主。在位期間は不詳[2]。姓は、名は興父[1]。父は前代の武公[1]

資治通鑑外紀》に

桓王)八年,秋七月,伐許。壬午,入許。許荘公鄭荘公奉許荘公之弟許叔居許東偏。許,姜姓,与斉同祖,周武王文叔于許,以奉太岳之祀。文叔之後曰徳男;曰伯封;曰孝男;曰靖男;曰康男;曰武公;曰文公;曰荘公茀。荘公之後桓公鄭,疑即許叔也。

と記載されている[1]

生涯

[編集]

左伝正義》及び《資治通鑑外紀》には周の幽王の死後、申侯繒侯らが、申国王子宜臼(平王)を天子とし、王子余臣を擁立した虢公翰と対立したとある。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 資治通鑑外紀』巻四・周紀二:(桓王)八年,秋七月,伐許。壬午,入許。許荘公鄭荘公奉許荘公之弟許叔居許東偏。許,姜姓,与斉同祖,周武王文叔于許,以奉太岳之祀。文叔之後曰徳男;曰伯封;曰孝男;曰靖男;曰康男;曰武公;曰文公;曰荘公茀。荘公之後桓公鄭,疑即許叔也。
  2. ^ 金栄権著 (2012.07). 周代淮河上游諸侯国研究. 鄭州:河南大学出版社. pp. 107. ISBN 978-7-5649-0686-3 

参考文献

[編集]
  • 《左伝正義・昭公二十六年》
  • 資治通鑑外紀 巻三・周紀一》
  • 《資治通鑑外紀 巻四・周紀二》
文公
の君主

不明 - 不明

先代
武公
の君主
不明
次代
不明